「隣人を愛せ」とも「善行を積め」とも押し付けてこない「武士道」
教えを要約すると『人の道を外れるな』ってことだけ、
それはつまり「自分の中の良心に従え」ってだけなので非常にわかりやすく納得。
そんな「武士道」で
このイライラ社会を生き抜くための
柔軟で折れない心(精神)を再構築中の私です。
俗世間と酒を愛し、俗世間を酒と共に歩む半出家BBAの修行日記
私の武士道の教本はこちらです。
新渡戸稲造著で世界中で長い間読まれている名著
⇓
心に「仁義」の心柱を立てたので
それだけで「迷い」はグンと減っているのですが
今回は行動の支柱「礼」をインプット
まずは「礼」の意味を自分の頭で考える瞑想
「礼儀」という言葉がまっさきに思い浮かんでくる。
剣道でも「礼にはじまり、礼に終わる」と教わったことを思いだすと・・
相手に敬意をもって接っしなさいってことなか?
失礼、無礼という状態が「礼」を欠いた状態だから・・・
たぶんニュアンス的に理解はあっていると思う。
「御礼」とか「礼を尽くす」とか・・
とにかく目を閉じて、ゆっくり呼吸しながら
思考を繋げていく。
あなたにとっての「礼」とは?
武士道が説く「礼」は仁義を型として表すもの
仁義を持って行動に移すとき
その行動の土台は「礼」なのだそうだ。
新渡戸稲造氏が説く「礼」は
私の想像以上に深い意味を持っていました。
◆「礼」は形式上のものでは無意味
もし礼が「品性の良さ」を損なう恐れがあるために行なわれるのであれば、それは貧弱な徳である
と外面的に自分をよく見せようとするための
行ないは本来の「礼」ではないと真っ先に書いてある。
じゃあ、本来の「礼」とはどんなものなのか?
こう書かれている。
⇓
「礼」は
他を思いやる心が外へ表れたもの
でなければならない。
それは同時に・・・
この先もめっちゃ為になることが書かれております。
是非とも本書を読んでいただきたい。
んで、どうやら
礼が内包している「他を思いやる心」の「他」とは
人や動物以外にも「この世の全て」を指すようなのです。
それは「物事の道理」を尊重することまでも含まれているのです。
また上のモノを敬い下のモノに慈しみの心を武士道は説くのですが
この自分を基準として「自分より上」「自分より下」という
人を見分ける基準も「その人の人としての徳の高さ」なんです。
人間として立派な人を尊重し、
人間と未熟な人には慈愛を。
こういった心が行動によって表に出たものが「礼」なんですって。
深い・・・「礼」の1字に込められた世界が巨大
◆礼の最高形態は「愛」大きな愛
なんかめちゃくちゃ「礼」の世界は深く、大きく
たぶん突き詰めていくと・・・「禅」の世界に入って
私は大きな冒険に出てしまいそうっす。
そんな悩める私に新渡戸稲造先生が
礼の心得をコンパクトに上手にまとめておいて
くださった。
天才か!? 読者の姿が見えているのか!?
礼は寛容にして慈悲深く
人を憎まず、自慢せず、高ぶらず、
相手を不愉快にさせないばかりか
自己の利益を求めず、
憤らず、恨みを抱かない
めちゃくちゃ徳の高い人やないか!!!!
はっきり言って
私はこれまで40年以上生きてきて
ココまでの「礼」を持った人に出会ったことが無い。
つまり、それだけ難しい修行になる予感がひしひしする。
世の中
- 自慢する人
- 怒っている人
- 偉そうな人
- 相手を不愉快にさせるモンスター
- 我利我利亡者
- キレやすい人
- 「相手のせいだ」と怨む人
で溢れているではないか!?
特にネット社会はこんな人ばかりに見える・・
しかし、武士道を「日本の精神」とするならば
本来の日本人というのは「礼」の精神を心の奥に持っているはず。
日本人は周囲の環境に同調しやすいので
もしかしたら「礼」を重んじる人が増え始めたら
イライラ化したのと同じ速度で社会が変わるのかも。
心に礼を
他に思いやりを
世界に愛を
ということでBBAの修行はいきなり壮大になりつつありますが
「武士道」を読み進めると
もっと生活の些細なことからはじめればいいようです。
よかった(^^)
武士道は行動を重んじる、礼を身につける茶道のすすめ
武士道は哲学的思考を押し付ける道ではないので
行動することで徳を積んでいく。
私のような頑固なこじらせ心の修行者にはありがたいことなのだ。
礼の精神を身につけるために
「優美」な所作を習得せよと武士道は説く。
そのために
一番おすすめなのが「茶の湯」だという。
でも「優美」な行動を意識すれば
毎日、日常が修行になるようです。
ガサツな私が「優美」を意識して
日々暮らし始めております。
次回は「茶の湯」の世界を覗いてみようと思います。
では、また~☆