苦しくて窒息しそうになる映画。
女として心が火で燃やされるような苦痛を一緒に味わう映画作品。
こうした時代を戦い抜いた女性達のおかげで今の私たちの自由があるの。
2時間28分の映画なので長時間の苦痛に耐える覚悟を持ってみて欲しい。
とんでもねー牧師の父と
その父の歪んだ信仰と支配欲と愛の執着から
逃げる娘の壮大な闘いのお話。
西部開拓時代やゴールドラッシュの頃の
「妻は夫の所有物であり、妻の体の権限は夫が握っている」
という認識が常識だった時代に少女から母になった主人公を
演じるダコタ・ファニングが素晴らしいです(;;)
娼婦宿では
男に逆らえば娼婦は殺され
男のキスを拒めば娼婦は舌を斬られる
そんな男尊女卑が当たり前の時代です。
- ブリムストーン・父と娘の壮絶な戦い
- 時代と夫と闘い続けたジョアナの母
- 時代と狂信牧師な父と闘い続けたジョアナ
- ジョアナに襲い掛かる罪と罰
- 父の叫び~地獄の業火で焼かれるよりつらいこと
- 愛されたいのに愛することを知らない男
ブリムストーン・父と娘の壮絶な戦い
4つの章に分かれており
内容が重く濃いのですが
超簡単にあらすじを紹介します。
自分の偏った解釈で神を狂信している厳格(幻覚)な父と
美しい母と一緒に暮らす13歳の少女ジョアナ。
この父と娘の壮大な逃亡と追跡の物語です。
牧師の父は
- 女は男を喜ばすために神が男に与えたモノ
- 女は神に出産の苦痛を与えられたが、それでも男を求めずにはいられない生き物
- 妻は夫への神からのギフトであり所有物
- 妻の体の権限は夫が握っている
- 妻の役目は夫に尽くすこと、夫を喜ばすこと
という考えの人で
こういったことを協会に集まった村人たちに向かっても堂々と語る男。
妻が自分への夜の務めを拒否すれば
妻を納屋に連れて行き
裸にして背中を鞭打つという鬼畜スタイル!
家畜や馬用の鞭なんで妻の背中は血だらけ・・・。
こうした父の理不尽な支配に家はいつも暗くどんよりしている。
妻に夫婦の夜を拒まれ怒り心頭の父は
母譲りで美しい13才の娘が初潮を迎えたことで
またしても自分勝手な解釈で心を躍らせる。
「これこそが神の計画なのだ!」と。
妻が自分を拒んだで私に苦痛を与えたのも
神はこの無垢で新鮮な果実を私にお与えになるためだったのだ!
もうこの子も立派な女、女の務めは男を喜ばすこと。
大事に育て実った果実は俺のモノ!
というとんでもね~妄想と解釈で娘を妻にしようとするのです。
母が自殺し、
父に犯された夜に
ジョアナはこの家を逃げ出します。
その後、
拾われ⇒娼婦宿に売られ⇒父が追ってきて⇒また逃げて
⇒舌を斬って別の娼婦になりすまし結婚⇒幸せに暮らす
⇒また父が追ってきて⇒繰り返す
苦しすぎる(;;)
そして最後までこれまでの因果に飲み込まれていくのです。
時代と夫と闘い続けたジョアナの母
正確にいえばジョアナの母も父の支配に抵抗し続けていた。
闘い続けた女なのである。
ジョアナの強さは母譲り、美貌も。
夫に鞭を打たれようが
夫と寝ることを拒否し、
娘に手を出そうとする夫に
「変態豚野郎」といっては
しゃべれないように拘束ヘッドギアをつけられる。
娘を守るために夫の寝室に自ら向かうが
もう夫は娘にしか興味なし。
「私だったら死んだ方がまし」と言われ
教会で説法する夫と村人の目の前で首を吊って死んでしまう。
ジョアナがその後の壮絶で苦痛に満ちた人生の中でも
「死」を選ばないで生き抜いていたのは
この母の死に責任を感じているのかもしれない。
でも私の考えは違うのです。
母の自殺は「あの男に絶対に屈しない」という意思表示であり、
誇り高く自由を手にしたんではないでしょうか?
鞭打たれようが、屈辱の拘束具で村人の前に晒されようが
心は1秒だって彼に屈したことはないのです。
なんでジョアナ生まれたんだろう・・・。
時代と狂信牧師な父と闘い続けたジョアナ
なんでこんなにジョアナひとりに執着してんだ、この牧師??
と思っていたんですが
「ジョアナこそ神からの贈り物!!!!」
って本気で信じているからのようですね。
と、同時に
妻を殺し娘に手を出した自分の罪も認めていて
自分が罪をおかし、死んだら地獄行き決定になったのは
「ジョアナのせいだ!お前が私を癒すべきだ!」
っていう理論らしい・・・・。
ホントに狂った人の思考って怖いわ…
ただ、少女時代も母となり立派に大人の女になった今でも
ジョアナの美しさは周囲を圧倒してるから・・・
単純に美しさにやられてる部分もあるかも。
娼婦宿にも追ってくる父!
その父から逃げるために自分の舌を斬り
別人になりすまして逃げるジョアナ。
母となり夫と義理の息子と娘と
静かに幸せに暮らすジョアナの元にも
再び現れる父・・・・。
しかも「ジョアナがお前を愛したから」という理由で
ジョアナの夫を半殺しにして腸を引きずり出し
首に巻きつけるというサイコっぷり!
夫が準備してくれた馬車で夫の父のもとへ逃げるも
またしても追ってくる父!
そして自分のまだ幼い娘を裸にし
ジョアナの目の前で鞭打ち
血だらけになった幼女をさらに
犯そうする狂った父に拘束されてたジョアナの怒り爆発!!!
肩はずしからの
父を火やぶりにしいて
散弾銃でズドン!
娘を抱きしめます(;;)
が、しかし、これでめでたしめでたしではないのです(;;)
ジョアナに襲い掛かる罪と罰
ジョアナに執着する狂信牧師の父の恐怖から解放され1年後
ジョアナのもとに保安官がやってきます。
ジョアナが娼婦宿に追ってきた父から逃れるために
なりすました娼婦リズがおかした娼婦のオーナー殺しの容疑で
ジョアナではなくリズの犯した殺人ですが
リズは父に襲われるジョアナを助けようとして
ジョアナの父に殺されてしまったのです。
そしてジョアナはリズになりすまして
つかの間ですが「幸せな家庭でのひと時」を得たのです。
ジョアナは静かにリズとして捕まります。
手足を鎖につながれ拘束され
舟で運ばれるジョアナは
娘の姿を見つめながら
自ら水に中に身を投げます。
このまま連行されても死罪は免れません。
でもリズが殺した娼婦宿のオーナーにしても
ジョアナが最後に火をつけた牧師の父にしても
ジョアナはその罪を問われ死罪になるよりも
自らの意思での死を選びました。
彼女は男社会の縛りや
この理不尽な世界の呪縛から自らを解放したのです。
母とリンクする最後ですが
私はここまで絶望や恐怖の中生きてきた彼女が
ここまできて最後にもがきながらも生き残る道を選ばなかったことに
過ごしだけ疑問を抱きました。
でもそれは映画冒頭の
村で助産師として働くジョアナが関係していることに気が付いたのです。
急に産気づいた妊婦の出産時に
頭が大きすぎて母体か赤ちゃんかどちらか一方しか
助からないと判断した時に
堕胎器具で赤ちゃんの頭をつぶし母体を優先させたことと関係ある!?
と思ったのです。
その赤ちゃんは男の子だったのです。
この男社会では女の子は父親の所有物であり
性的対象にされることも少なくなかった時代において
「息子」というのは跡継ぎであり自分の分身くらい
父親にとっては大事な存在のようでした。
そんな息子を母体のためとはいえ
独断で殺したジョアナに批判の目が向けられるのも
不思議ではありません。
たぶんジョアナが罪悪感を抱える「罪」があるならば
この一件しかないと思うのです。
私の見たところでは
ジョアナは賢い女性ですが
助産師としての知識と経験と道具を持っています。
でも帝王切開とか外科的処置するほどの知識も道具も持っていなかったのです。
だから彼女からすると選択は一択しかなかったんだと思います。
しかも男児だったし・・。
男尊女卑の酷い世界で生きる彼女にとって
女性の命を犠牲にしてまで救うべき男なんていないというコトかもしれません。
父の叫び~地獄の業火で焼かれるよりつらいこと
私は途中から気が付いたんですが
この狂信牧師がなぜ妻との夜の生活や
娘を執拗に追い回すのか?
その理由が「愛されたい」一心なんだろうなと。
夫として、父として、男として
形ばかりの妻、娘、女に囲まれて生活しながらも
彼は誰からも愛されていなかったのです(;;)
夫として妻から男を求められることもなく
娘から父として慕われることもなく
自分の息子を持つことができなかったため
息子から尊敬されることもなく
常にひとりで孤独だった牧師。
娘に火で焼かれ打たれる時に
彼は素直に言ったのです。
「地獄の業火で焼かれるよりももっと辛いことを知っている」
「愛されないことだ」と。
愛されたいのに愛することを知らない男
側に人がいるのに愛されていないって辛い。
側にいる人に愛されていないって辛い。
愛された打て、
愛することを力を振りかざして強いる男。
愛し方、間違ってるよ!!!
まず愛さないと愛されないよ!!
力で支配しても愛は生まれないよ!!
相手の気持ちを支配したり
コントロールしようとせずに
ただただ相手を愛するのです。
それでいいのよ。
相手から愛されようと期待するから
愛の奴隷になっちゃうのです。
愛されたかったら
ただただ相手を愛する。
相手が楽しく伸び伸び暮らせることを一緒に喜ぶ
だかそれだけ。
何とも言えない
ジョアナと一緒に恐ろしい男尊女卑社会を生き抜く
感覚に襲われる映画です。
今に生まれて良かった。
女性にも敬意をもって対等に接してくれる男性も多くてよかった。
この牧師は聖書にある12使徒の言葉により
父の子を産む実の娘たちを盾に
ジョアナに関係を迫っている。
あらゆる場面で聖書を引用しては自分の威厳や地位を保っている、
昨日書いたように安岡先生のいう
「偽善者は偉人たちの名言を言いたがり」ということを
時間してります。