プロ独女のライフハックブログ

BBA独女みつまるが「今」気になることを追いかけ綴る人生冒険日記

【2度見るべき映画】シークレット・ウィンドウ~To.get.her 超ゴム弦理論

シークレット ウインドウ (字幕版)

この映画は2回見た方がいい。

2度目の鑑賞で「そうだったのか!」ってことがたくさん見えてきた。

 

 

サタシネ★でやってたんで録画してじっくりと鑑賞した。

 

 

映画 シークレット・ウィンドウ~あらすじ

作家モート・レイニーは妻の浮気現場に乗り込み、離婚してから

何もかもが上手くいかなくなって六か月…スランプ中だ。

 

自宅は妻のものとなり

モートは山間の別荘で愛犬チコとほぼ引篭り生活満喫中

時折、彼を心配した元妻が電話してくれるが

最終的にチクリと嫌味をいってしまうモート…浮気を赦せていないのだ。

 

そんなスランプ引篭り生活の中

珍しくモートを訪ねてきた見覚えのない黒帽子の謎の男…

謎の男はモートに「俺の作品を盗んだな!」と凄い剣幕。

身に覚えのないモートは「そんなはずない」と追っ払うが

謎の男シューターは手にしていた自分の作品の紙束を置いて姿を消した。

 

シューターが残していった紙束を読んでみると

なんとモートがかなり前に発表した「シークレット・ウィンドウ」と

出だしからまったく同じ言葉が並び、文章は一致していた。

動揺するモートだが書き上げ、雑誌に掲載されたのは確かにモートの方が先だったため

精神異常なストーカーかと疑うも、気にしないことにしたのだが…

 

この日からシューターに付きまとわれることに

しつこいシューターに「何が望みだ!」と聞くと

『最後を勝手にお前が変えたことが気に入らない

、書き直して盗作したことと共に世間に発表しろ!』と要求してきた。

 

呆れるモート、盗作じゃないことを証明するため

シューターより先に書き上げたことを確認できる当時の雑誌を見せる約束をする。

 

問題はその雑誌は、かつての自宅、今は妻の家にあることだった。

 

不気味な男シューターに付きまとわれていくうちに

モートの周辺で彼の知り合いや身近な人たちが事故にあったり

シューターの姿を見た者や正体を探ろうとする者たちが姿を消していく…

モートだけを残して

 

シューターは何者なのか?

小説はどっちの作品なのか?

シューターとモートの決着は?

 

※以下、ネタバレありの感想・考察になりますが2度目なんで考察多め

 

◆2度目の視聴で驚きが数倍に膨らむ!

1度目はシューターの目線で物語の世界を見ていくことになると思いますが

2度目の視聴となるとちょっと引いた目線から物語を見ていくことができるので

1度目よりも見えてくる世界が広がるんです。

 

そして「驚きの仕掛け」がたくさんされていることや

この物語が描いていたことがもっと壮大で科学的な追及であることに気が付いた。

 

この映画を単なる精神分裂者のひとり妄想とか、多重人格によるものだと

思った人ほど2度目をしっかりみて楽しんでほしいっす。

 

◆重要な存在「鏡」~そこに映る世界

この映画は「鏡」の演出が巧に使われております。

キングの原作を知らないので、原作でもこれほど鏡が多用されているのか不明です。

 

映画のオープニングから不気味な視線でカメラが動いていくのです。

まるで大気中を漂う魂の如く、水辺を低空高速で移動しながら

モートの別荘に近づいていき「シークレット・ウィンドウ」の小説で描かれた

妻お気に入りの二階の小窓から入り込み

一階のソファで昼寝中のモートの姿を映す大きな鏡を捉え

カメラはその中に入っていくのです。。ここからモートと謎の男の物語は始まります。

 

更に電話で話す妻も鏡越しにカメラに顔を見せたり

シューターの姿をバスルームの鏡に見たモートが、鏡を粉々に割ったり

元の自宅前で妻と今彼の幸せな様子を車のドアミラーから眺めるモート…

そのミラーには

 

※映画のワンシーンより

まーこの文字自体は事故防止のために

アメリカで販売している車のミラーに印刷されてる一般的なものらいい。

 

でも鏡に映った世界と現実の世界がまったく同じではないことを

とても上手に表現しているよね。

 

◆重ね合わせ~パラレルワールド、その世界の在り処

んで、今回私が「そういうことか!」(かも!?)と感銘をうけたのは

人が決断・選択する毎に世界分岐が起きて

パラレルワールドが無数に存在していくならば

”その無数の世界はどこに存在、保存されているのか?”

ってことが私は前々から気になってたんですよ。

 

何となくですが、いくら宇宙が無限に広がる空間だとしても

いくら宇宙の裏に無限のカム界かあって

アルカディアが描くように無限に記録し続けているにしても

「果てしなさすぎる」し、「対象が多すぎ」で無駄が多い気がしませんか?

 

この世界がすべて「相似象」なんだとしたら

やっぱり無駄なデータは削除してできるだけ

保存空間は空けておきたいと思うんですよ。

重要で有意義なデータの為に空間空けておきたいし

その方が創造の可動域もひろがりそうでしょ?

 

んでね、この映画を観て1つ私のなかで「これか!」って閃きがあった。

可能性の重ね合わせ状態にあるのも、世界が分岐しているのも

「モート(本人)の中」でのことなんですよ!!

 

つまり我々は「自分の内側(内宇宙)にこれまでに分岐発生したパラレルワールドを可能性の重なりとして保存してるし、これから発生する分も可能性の重なりとして内包しいえいる」ってことじゃないかと。

 

「私」というフォルダ、「モート」というフォルダを覗いた時にだけ開かれる。

普段は「私」の内側に折りたたまれ保存されてるわけですな。

宇宙の総合メモリーにあるのは「私」というフォルダか「私」にアクセスする点

みたいなモノだけでしょうね。

 

◆思考の実現化と超ゴム弦理論

モートとシューターの関係を理解する為に

重要なシーンが超冒頭の妻の浮気現場であるモーテルの一室に

モートが踏み込んでいった場面です。

 

あの時、ベッドの中のふたりを見たモートの中に湧いた強い感情

妻への怒りと憎しみ、「〇してやりたい」という強い思い。

この感情の乗った強い思い(願望)というのは

潜在意識がどうしても実現させてしまうようです、顕在意識を抑え込んで。

 

んで、ここに以前私が深夜の不思議体験徘徊で見つけた

「未来分岐ゴムひも理論」がガチっとはまってくるのです。

 

dokujyolife.hatenablog.jp

 

私たちは無限の可能性をもち、

自分の意志で人生を選択できるのですが

「私」を超えた世界の現象には引きずられますよね。

私を内包する「世界」側の方が強いわけですから。

 

まー世界の動きと私の関係だと「絶対に通る未来」に杭がうたれているのもわかる。

んで、これが「私」という個れべるでも

私の強い感情がのった強い思いってのが「杭」となって「必然」になってしまう!

って可能性がこの映画に描かれてました(正直怖い)

 

だから、モートも妻への強い怒りと殺意が湧いてから

できるだけ「その点」をさけて道を進んでいたのに

どの道を進んでも「杭」が打たれた部分は絶対に通らねばならないんです。

 

「杭」の部分はどんなにゴムをのばして避けても「遠回り」にしかならない。

 

◆愛犬チコの目が白内障で片目しか見えない理由

これもたぶん深い意図がある演出で

片目しか見えない犬というのが「愛」の象徴なのか?

それとも原作者キングか監督の意図を

一方向からの解釈しかできない、半分しか理解できない

であろう我々を指しているのか?

もしくは主人公を指しているのか?

 

愛犬チコの最後を見るに

ものを一部しか見られない状態では

その人生は誰かの意図に支配され続けるよって示しにも見えて怖いっす。

 

とにかく物語の見せ方が上手い映画です!

 

 

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