ハリウッドリメイク版と全く違う、描いているモノが全く違う!
ということに驚いた私です。
先にハリウッド版を見ていたので、本家フランス版を見て圧倒された。
ストーリーの大筋は一緒だけど
監督が描いているモノはまるで違った…
私が先に見ていたハリウッドのリメイク版がこちら
↓
そして、今回観た本家パスカル・ロジェ監督の作品がこちら
こっちの方が、この世界の痛いほどエグイ現実を描きだしております。
しかも最後に臨界を超える少女が逆だったという驚き!
- 映画 マーターズ(2007)~あらすじ
- 2人の少女の運命が交差して入れ替わる
- リメイク版の謎の拘束具女性の意味が判明!
- アンナの証言&最後のシーンの考察
- 人間の法を盾に隠れ神の法を破る厚顔無恥な富裕権力層
- 禅の悟りと真逆の発想
映画 マーターズ(2007)~あらすじ
1971年10月16日
少女リュシーが監禁拷問されていた施設から
自力で脱走し保護された。
全身傷だらけの少女リュシーは検査の結果、
レイ〇こそされてはいないが
それ以外のあらゆる拷問を受けた跡が見られた。
彼女は常に何かに怯えており、口を閉ざしていた。
唯一リュシーが心をゆるしたのは
同じ養護施設で暮らす少女アンナだた1人だった。
それから15年後
リュシーとアンナはふたりで支え合いながら暮らしていた。
ところが、ある新聞記事を目にしたリュシーは散弾銃を手に
かつて自分を長期監禁・拷問していた人物たちの元へ復讐に出かけてしまう。
裕福な一家の平和な休日の朝食風景が
散弾銃を構えた少女の出現で一変する。
次々に夫婦と子供2人を殺しリュシーは「彼女」からの解放を願った。
ところが「彼女」はリュシーを許さず
リュシーに襲い掛かり彼女の背中を刃物で何度も斬りつけるのだった…
「彼女」とは15年前にリュシーが監禁場から逃げる時に
目が合ってしまった他の監禁・拷問被害者で
彼女の訴えるような悲痛な叫びの籠った表情が今もリュシーを責め続けていた。
リュシーにしか見えない「彼女」は、15年間ずっとリュシーを苦しめていた。
リュシーに助けを求められ、この家にやってきたアンナはその惨状に驚く。
しかしアンナにとってもリュシーは特別な存在で
彼女の為に必死に後始末をはじめるのだった。
アンナが死体の後始末中、
一家の母親にまだ息があることがわかる。
優しいアンナは助けを求める一家の母をなんとか助けようとするが
それはリュシーへの裏切りとなってしまう…
このことがふたりに大きな悲劇をもたらすことに…
アンナが思いもよらなかったこの家の秘密、
リュシーの壮絶な過去、
少女たちを監禁・虐待する組織が
次々と明かされていく。
それはアンナにとって地獄のはじまりでもあった…。
※ここからネタバレ有の感想・考察となります
2人の少女の運命が交差して入れ替わる
マーター=殉教者となるための最後の過酷な拷問に耐えるのが
リメイク版と本作は「少女」が違うのです!(ここ重要)
しかも、生きてる2人で耐える・闘うのではなく
2人は15年間支え合って寄り添って生きてきたのに
あの家での出来事がふたりの信頼関係に小さなヒビを入れてしまうのです。
その小さなヒビは飛んでもない破壊をもたらし
アンナは目の前でリュシーを失ってしまいます。
リメイク版を先に見ていたので「リュシー」こそ
組織が何年もかけて探していた特別な少女だと思っていたら
違ったのです。
普通に弱い少女でした(;;)
そして殉教者になる為の最後の苦難を受けるのは
- 実の母親に育児放棄され「愛されないこと」を知り
- リュシーに出会い「愛すること」を知った
- 心優しき少女
アンナの方だったのです(マジびっくりした)
正確に言うと、拷問の果てにアンナは
死んだはずのリュシーの姿が見え、声が聞こえるようになり
いつも側にリュシーの存在を感じるようになります。
肉体は無いけど2人はこの壮絶な人生を共にする。
交差して入れ替わって最後は1つになるのです(;;)
リメイク版の謎の拘束具女性の意味が判明!
リメイク版を先に見た時、謎に思うことがあった。
⇓
この拘束具姿の女性はリメイク版のポスターに有るくせに
作中には登場しなかったのだ。
それが、本家を見てなんなのかわかった。
この感覚遮断拘束具の残虐さは想像を超える映像で
見る者に迫ってくる。
頭に直接釘打ちされた鉄の拘束具…
皮膚にめり込み視覚、聴覚、臭覚を遮断
そんな中、暴力や拷問で感じる痛みはどんなものだろう(;;)
痛みの刺激に対して今までよりも過敏だろうし
恐怖も何倍にも膨れ上がっているはず…
アンナが受けるとんでもない全身の皮膚剥ぎ拷問から見るに
組織がもっと多種多様な拷問を少女たちに「実験」していたことが
思い知らされる。
アンナの証言&最後のシーンの考察
アンナが境界線を越えて「何を見たのか?」
そして組織のババァこと「マダム」はアンナから何を聞き
あの最期を遂げたのか?
私なりの考察を勝手に書いていこうと思います。
マダム達が自分たちは高い精神性と信仰を持つ者と思っており、
どんな苦痛を受けても死なない殉教者を必死に、無理やり探しているところからして
苦難の末に耐え復活したキリストのような
あの世とこの世を繋ぎ、語ってくれる存在が欲しかったのでしょう。
そういった存在に自分たちが愛されると思っていたのかもしれません。
自分たちが賢く、この世で富と権力を得ているのは
天の神に愛されているからだと。
だから、死後の世界でもきっと神に愛されると。
でも、マダムはアンナの言葉を聞いて
あの厚化粧を取り、銃を口にくわえ引き金を引き自殺します。
アンナが見た世界のヒントとして
アンナの目の中に白い光が広がり、
その後黒い輪にへと収縮してく描写があります。
⇓
以上を踏まえての私の考察
アンナは確かに光に溢れた天国のような世界を見たのでしょう。
でも同時に闇にのみこまれる世界も見た。
そこで「今の世の中、マダム達の正体」を
神と悪魔に教えられたのではないでしょうか?
私の予想では
マダム達のようなサイコで自意識過剰で傲慢な「権力と富」信者というのは
自分では気が付いていないが既に悪魔の支配下に落ちた人たち。
自分たちでは「神の奇跡」へ近づいているつもりで
高い信仰心を掲げながら
実は悪魔に生贄として苦痛に苦しみ絶望し、自ら命を絶つ少女たちを
捧げ続けてきた悪魔の手先に落ちた人たちなんじゃないでしょうか。
この事実をアンナ(証言者)により
マダムは神の声と悪魔の声の両方で知らされたんだと私は思ております。
悪魔に喰われた、悪魔に憑かれた魂を解放するには
「死」しかなかったんではないでしょうか?
もう1つ考えられるのは
マダムが殉教者アンナの言葉を聞いたことで
マダムもアンナが見てる世界が見えるようになり
散弾銃で復讐したリュシーがマダムに銃を加えさせ
引き金をひいたのかもしれません。
人間の法を盾に隠れ神の法を破る厚顔無恥な富裕権力層
私の勝手な感想と考察ですが
監督がこの映画で描いている「芯」の部分は
”この世は既に悪魔たちに侵された地獄の世界”
ということではないでしょうか。
正義も信仰も建前と化し
人間の法を盾に身を隠し、富や権力をむさぼり得ては
弱気大勢の人たちから知識・智慧含め全て奪っていく富裕層や権力者たち。
この世界はそういた狡猾な悪魔の手先に堕ちた人たちによって
支配されているんだよって、言われているように感じる映画だった。
⇓
だから、
優しい人や無垢な人、真面目な人、信じる人達が
理不尽な目にあうのも当然なんだよ…って云われているようだった。
(1971年10月16日が監督の誕生日なのも意味深)
でも、すべてはマダムの最後の言葉に集約されているのかも。
「疑いなさい」
禅の悟りと真逆の発想
あと、単純に驚いた部分ですけど
苦難・苦行の末に「悟りの境地」に達するというのは
禅や仏教・密教の僧侶の修行でも同じですが
「自ら修行し、自分で悟る」ことが重要だと思うんですよ。
なんで「苦痛」や「苦行」を他人に与えて
覚醒させようとしてるんや?!
自分がその境地を体感しないと、まったく理解できないんじゃないの?
でも、まーこの点も監督の指摘なのかもなぁ。
私も本を読んで偉人の知識や経験に触れただけで
なんか「知った」気になってますしね。
再現できなきゃ意味ないのに(--;)
とにかく、パスカル・ロジェ監督が描くエグさ凄いっす。
心に余裕がある時に見てみてね~