喜神の「神」は「精神の神」のことやで~
まーでも心に「喜の神様」を常に置いておけるなら、そっちの方が無敵感あるよね。
「安岡正篤って誰や?」と思った方は、まずはこちらをどうぞ
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では、今日もさっそく安岡先生の言葉に耳を傾けよう。
第一に心中常に「喜神(きしん)」を含むこと。
神(しん)とは深く根本に指していった心のことで、どんなに苦しいことがあっても、心のどこか奥の方に喜びを持つということです。
実例でいえば…(中略)…
人の毀誉褒貶なども、虚心坦懐に接すれば案外面白いことで、これが「喜神」です。
(『続経世瑣言』)
実例も交えて「喜神」を心中常に持つことの重要性を説いてくださっている。
どんな人・どんな状況に接しても、心の奥底には「それを良い機会だ」と思える心(精神)をもっていなさいってことだろう。
え、嫌な情況や嫌なヤツに応じなければならぬ時でも「喜ぶ精神」だと⁉
と私は「喜」の字に軽く拒否反応を示してしまった(--;)
しかし、先生の言葉の最後の一文を辞書を引きながら理解できたとき「あ~なるほどな」と思えた。
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- 毀誉褒貶(そしる・たたえる・ほめる・けなす)
- 虚心坦懐(先入観をもたず平らな心で物事に臨む態度)
嫌な人・厄介な人・困った人、またはそうした状況に置かれた時に
負の感情に囚われてしまう前に「イヤ、こういうことも実は自分にとってよい機会なのだ」と思い、”自分を省みたり・練磨するために起きた”と意識を向け
『これは最悪に見えて実は好機、ありがたいことだ』と受容できた時、私は格段に成長できた状態になっているんだろう。
「喜神」の「喜」というのは
どんな時でも「それ」を楽しんで、己の成長の好機と捉え
「ありがたい」という感謝の気持ち湧くまでに昇華・消化できると
そこに自然と「喜び」の感情が湧き満ちてくるってことかな。
最近、本当にそう思えるようになってきたんですが
どんな状況にあっても「負(-)の面」と「正(+)面」が同時に存在しており
私がどこに目(意識)を向けるかで、解釈(認識)がガラッと変わるんじゃないかと。
マイナスに思える事・状況が実は大きなプラスへ転じる機転だったり…って話は
成功者や偉人の伝記でもよく耳にする話ですもんね。
自分を取りまく状況(環境)や人たちによって
いちいち感情を大きく揺さぶられたりしないように
心の内奥には常に「喜神」を含んでおこうと思います。
まずは「笑う神様のイメージ」で心に「笑神=喜神」が居る・在ると想像しよっと。
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ほ~ほっほっほ~(恵比寿顔)
ほ~ほっほっほ~ドーン!(時には喪黒で)