仕事の語源は「為す事」からきているという。
でも「為事」から「仕える事」になった何らかの意味があるのではなかろうか?
今回は安岡先生に関する書籍の中で紹介されていた、とても印象深い”ある名医の言葉”から学びたいと思います。
↓
こちらの本の中の第五章の中のp138「仕事は祈りだ」で紹介されている。
↓
一芸に秀でる人は「寝ても覚めても」そのことに徹しているのである。
京都大学医学部(外科部)の教授に青柳安誠(あおやぎ やすまさ)という人がいた。「青柳教授の執刀は神業だ」といわれた人物である。その青柳教授は『手術は祈りだ』と言った。
この名医・神業とよばれる手術を成す青柳先生の言葉の真意をどう受け取りましたか?
その言葉の真意について、こう触れられております。
↓
青柳教授の同僚で、元京都大学総長の平澤興は、その著書『燃える青春』(関西師友協会)の中で青柳教授のことにこう触れている。
「外科医が手術に最善を尽くすのは当然のことである。しかし『手術は祈りである』という言葉の中には最善以上のものが含まれている。それは医学と医術の限界を知り尽くした名医が自らの最善を尽くして、その上にさらに神の前に平伏し、患者の為に手術の成功を祈る姿である。青柳君の腕は近年ますます冴えつつあるというが、うべなるかなと思う」
それから敷衍して平澤は「仕事は祈りである」と言った。
「今」ある最善を尽くし、更に患者(相手)の「幸福」を祈る。
これが「天を相手に命に生きる者」の姿なのでしょう。
どんな仕事も社会の幸福に貢献している。
どんな仕事も「誰かの幸福」に関与している。
為すべき事をなした後、その仕事の先にある「誰かの幸福」を祈れる人でありたい。
青柳先生の「手術は祈りである」は命に触れ、その人の運命に直接触れている自覚があってこその謙虚さも含まれているのであろうが、やはりこういう人が命の最前線にいると思うと「人間は神に近い尊い存在」なんだと思える。
「仕事」という意味を調べると、
→”生計をたてる手段として従事する事柄・職業”と出てきますが
「為す事」から「仕える・事」という字表現になったのは、もしかしたら
「天・命に仕える為の成し事」という意図が込められているからかもしれません。
近頃話題になった「脳外科医竹田くん」と青柳教授‥二人の外科医の仕事への姿勢の違いには学ぶものが大きい。
青柳先生の著書は見つけられませんでしたので、平澤先生の本を読んでみたいっす。
(つづく)