「志」とは”あること”を起点に自然発生するものかのかもしれません。
私が尊敬する賢人・哲人「安岡正篤」氏ってこんな人
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あなたの「志」は何ですか?どんなものですか?
安岡先生は「志」の重要性についてこう語っております。
大切なものは「志」です。志気、志操、志節といわれるものです。これは気力から生まれてくる。そもそも気力とは、その人の生を実現しようという絶対者の創造的活動であるから、(人は志を持ち)自ら実現しようよする何物かを念頭に発想するわけです。
(「朝の論語」)
気力から「志」が生まれてくる。
→”その気力は「私」を通しての絶対者の創造的活動である” だと⁉
(※ここ、かなり重要な真理ではないかと)
【「志」はどう生まれてくるのか?】
この興味深い問に対して、安岡氏が示す回答は
→”「志」は、絶対者に波長を合わせたところから生まれてくる”
本当の「志」を得るためには、日常に追われている心を日常から切り離し一旦鎮め、心を絶対の世界・絶対者の創造的活動に向けることが必要だという。
この世界を創造している絶対者と心が重なったならば、自然と「天命」を悟り、「私がなすべきこと」が見えてきて、ここに己の意志が加わり「志」となるんだろう。
「志」=心に決めた目標・目的+そこに向かって心が動くこと
志気・志操・志節については、先に紹介した安岡先生の言葉の続きをどうぞ
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志気は現実のさまざまな矛盾抵抗にあっても容易に挫折したり消滅することなく、一貫性、耐久性をもて「志操」になり、「志節」になります。現実の矛盾、抵抗に屈しない意味では「膽気(たんき)」とも申します。
(「朝の論語)」
「志操」=かたく守って変えない志
「志節」=かたく守り続ける意志や主義
なるほど「志気」→「志操」→「志節」とどんどん「私=命(天命)」が融合してゆき、「確固たる私」が形成されていくわけかぁ。
命(天命)と一体となった「私」が完成すれば、それはもう何モノ(人・環境・社会)にも乱されることはないのである!
外界に影響されない、乱されない「ブレない自分」というのはここにあったのですな。
(ずっと探してたんだよ~)
つづく