『時代の頽廃度を観察する上で非常に参考になる3つの基準』を知り
今って・・・・もしかして・・・・と思いにふける私です。
最近、本との出会い運に恵まれており
私がモヤモヤと抱えてきた疑問に対する答えや説明が
素晴らしく「言語化」されて目の前に現れるのである。
私は「どうも世の中がトゲトゲしてんな」と思いつつ
その原因を多くの人が将来への不安や
忙しい生活でのストレスを抱えているからだと
勝手に思い込んできました。
それがどうもそう単純なことでもないな?
個々人のストレス×日本の将来不安ってだけじゃなく
もっと根深い部分に根源があると気が付いたのが
こちらの本との出会い。
↓
そして更に安岡先生の意見に触れて
「なるほど」と思うことがあった。
↓
時代の頽廃度を測る3つの基準
正しくは
『時代の頽廃度を観察する上で非常に参考になる3つの基準』
として書かれていた。
でもこの3つは「時代」という大きなモノを観察するだけでなく
「個人」「二人」「グループ」「コミュニティ」「社会」「時代」
と「人と人の群れとしての塊」を見ていくのに参考になると思った。
それがこちらの3つ!
- エロ
- グロ
- ナンセンス
これは、エロ⇒グロ⇒ナンセンスと進んでいき
ナンセンスの先は・・・・
まず頽廃現象のはじまりはエロ
もともと人間も生物であり、繁殖本能により性欲はあって当然。
ここで言うエロといのは「繁殖のため」というより
もっと娯楽的・快楽的・刺激的・攻撃的なもののようです。
動物以上に下心を含む性的な興奮・刺激っぽい。
自分の思考や行動が「エロにのまれている」状態。
エロにおぼれる
が一番感覚的に理解しやすい表現かも。
「論語に学ぶ」にはこう書いてある。
まず頽廃現象のはじまめはエロである。
エロは人間の気力を麻痺させる。
ところがまだ生命力がのこっていると
いつかエロに反撥する時期が来る。
そうして何か強烈な刺激を要求するようになる。
エロにおぼれて
更にそれでも生命力があふれていると
そのエネルギーはもっと強烈な刺激に向かうようだ。
それがエロ⇒グロの過程。
↓
エロから変態的な刺激を求めグロへ
エロにおぼれエロの刺激と快楽におぼれても
まだ有り余るエネルギーがあると
もっと強烈な刺激の何かを求めるようになる。
それがどうしてグロに向かうのかというと
ところがもうすでに
頽廃しておるのですから
到底 健全な刺激には耐えられない。
だから刺激は刺激でも
変態的な刺激を要求するようになる。
それがグロテスクというもの。
エロから更に変態的な刺激に進むとグロテスク嗜好になるのか!?
でもなんかこういった部分、
自分の変態的嗜好を
「まるで偉大な芸術家たちに通じる感性をもっている」
かの如く自慢する変な人をたくさん観てきた私(^^;)
あーーーーーー…ねっ
って思った。
グロテスクからナンセンス、ネットの炎上
エロ⇒グロテスクときて
更に進むと⇒ナンセンスにいきつき
全て無意味といった感覚になり
バカげたことや
既存の常識や社会のルールに反することや
既存の価値の否定や攻撃が
刺激となり快楽になるようです。
ここ!
ここです。
私がモヤっとしていた部分に対する解答がこれ。
最近テレビでもネットニュースでも話題になる
炎上動画とか
動画撮影者たちが危険だったり人に迷惑をかける行為を
「笑いながら撮影」して「ネットにアップ」することが
どうも不思議だったんですよ。
笑いながら動画撮影してるってことは本当に楽しんでいるの?
ネットにアップするのはどうして?
悪行を自ら世間にバラすってどうして?
でも謎が解けました。
全てが「スリル」「刺激」「快楽」なんですな。
なるほど。
しかし!
私がガガガーーーーンとショックを受けたのは
ナンセンスのその先に書いてあった言葉です。
ナンセンスのその先にあるモノ
言っておくがここで終わらんで!
更に安岡正篤氏の刃の如し筆は
まだまだ私に斬りかかってくるのだ。
ところが時代の頽廃期に又
迎合したり、無理やりこじつけて、
これを弁護する変な思想家や学者が出てくる。
誠に困った現象です。
やっぱり今のことやないか!?
と、思わずにはいられないのです。
んが!
先生は厳しいだけではなく
厳しさ9割で残りの1割でしっかり
この時代の生き方もアドバイスしてくれているのだ。
基本、鞭ばっかりだけどな。
でもまだなのです。
私がすごくショックを受けた部分はまだまだこの先にあるのです。
では、また~☆