悪の法則かぁ…結局わかったことは超シンプルな1つのことだった。
【映画 悪の法則~感想】
えっ、これで終わり⁉(という戸惑い)
結局そこに描かれてた「悪の法則」てのは、
- 弱肉強食
- 誰も信用してはいけない
- 悪に手を染めるなら己の命と全てを失う覚悟をしておけ
- 悪の道で勝ためには自分がゲームのオーナー、胴元で在るしかない
こんな感じのことだった。
でも、映画全体に漂っている「死臭」と「無善」な感じからいくと
”悪に手を染めるのは、地獄に身を投じること、すべてはあなたが選択したこと”
というシンプルなメッセージなのかもしれない。
悪に少しでも手を染めたら、神に救いを求めてはいけない。
最初に神の手を振り払ったのは自分なのだから…(そりゃ、そうだ)
マジで、こんな風に悪は皆自滅していってほしい。
さて、ある弁護士が悪人たちと共に地獄に堕ちてゆく話ですが、
そのきっかけは「愛する彼女にプロポーズする為、でっかいダイヤの指輪を買うための金欲しさ」から今回限りと裏の仕事に手を出したことでした…
ある弁護士男性は、なんと自分では真のダイヤの価値を判断できず、まー信頼できる専門家にいろいろ聞きながら買うわけですが…この時から何やら嫌な予感してた。
やっぱり、自分で真の価値や本質がわからないモノに手を出すべきではない★
映画の最後でも「ダイヤ」の価値が語られているが、金持ち(善悪両方含む)たちが資産の移動(持ち運び)や換金を簡単にするために「世間に高価値なものだと思い込ませている」ものも多いからね。現代アートやオークションで売買される品とか…
そんなもののために「これまでの人生」と「これからの人生」を賭け捨てしている場合じゃねぇ~
あながにとって「なんだかわからないモノ」は「なんだかわからない価値しかない」のだ。この世のものの価値=金銭的な価値の殆どが「幻想」や人間の認識~洗脳による思い込みによるものなんで、自分で感じた「価値」があなたにとって本当の価値でいいんじゃないだろうか。
たぶん古代遺跡で見つかる宝石や金製の品々というの本質は「装飾品」ではない。
もっと深い意味があって創られ、身に着けたり、その場に計算され置かれていたはず。
「形」にもデザイン性以上の意味が込められているはず…自然が見せる模様と呼応しているのではないだろうか。
見栄を張ったばかりに、すべてを失ってしまう。
欲に身をまかせて、身を滅ぼす。
そういうことって 確かにある気がします「人生の法則」に。
爽快でも愉快でもない映画なので、視聴する時はご注意を~