プロ独女のライフハックブログ

BBA独女みつまるが「今」気になることを追いかけ綴る人生冒険日記

【映画部】ビッグショット・ダディ(World's Greatest DAD)考察~嘘つき成功者と孤独を恐れる偽善者の群れ

ビッグショット・ダディ

単純な「嘘つき成功者」にみせて

実は大衆側をグリグリと抉り、チクチクグサリと刺してくる映画

ロビン・ウィリアムズに泣きそうになる…

 

 

今の時代の成功者と

そこに群れる人々を描いている

ようでもあり

 

息子を思う父心を描いている

ようでもあり

 

苦しんでいる時は見て見ぬふりの大勢が

その人が亡くなった途端に

その人を惜しむ様子や悲しむ様子をみせる

気持ち悪さを描いている

ようでもあり

 

いろいろと複雑に気持ち悪く、

最後のダディにホッしたり

ややこしい作品です。

 

 

ビッグショット・ダディ

ビッグショット・ダディ

  • メディア: Prime Video
 

 

 

「ビッグショット・ダディ」 あらすじ

15才で思春期・反抗期で問題児の息子カイルに手を焼く父ランス。

息子が通う学校で詩の授業を担当する教師である父ランス。

 

そんなランスは作家としての成功を夢見ており

出版社に自分が書いた作品を送り続けている。

未だ本が出版されたことは無い…。

 

学校でも私生活でも冴えない父子に

ある日突然悲劇が襲う。

 

息子カイルが自慰行為(窒息系)中の事故で死んでいるところを

帰宅した父ランスが発見

息子の死を悲しみながら

息子にパンツとズボンをはかせ自殺に見せかけるため

勝手に遺書を書き残し、息子の服のポケットに置く父。

 

カイルの遺書は世間から大注目を浴び

ランスが書いた嘘のカイルの日記により

カイルはいつしかティーンのカリスマ的存在に、

ランスは悲劇の父親として注目されるようになってしまう。

 

注目され話題にされ嘘を重ねていたランスは

加熱する周囲の人々の中で

大事なことに気が付きはじめる。

 

嘘で得た成功はランスに何をもたらすのか?

 

オープニングの裏返った「THE END」の文字

オープニングで気になる、印象に残るシーンがある

画面に反転した「THE END」の文字が大きく映し出されるのだ。

 

プリンターから出てきたその紙を

裏側(下側)から覗いているような気分になる画面なのだ。

 

これから始まる物語を

観客である私は裏側から見ていくという

暗示なのかもしれない。

 

私たちは常にランスの嘘を知る側として

映画の中で繰り広げられる

彼の嘘に熱狂する人々を見つめていくことになる。

 

 冒頭に語られる作家ランスの本心が鍵

映画冒頭で語られるランスの本心が

映画のラストに繋がる重要な部分となっている。

 

そして、ここで語られる彼の本心を意識して

これから起こる出来事と

ランスの行動、表情を観ると

更に映画が味わい深いものとなります。

『私の名はランス・クレイン

“孤独な死”を何より恐れている、私は作家だ

今まで本が出版されたことは無い

 

“真実の文を書きたい”とヘミングウェイは言い

銃で頭を吹っ飛ばした

 

優れた作品を書き上げ、有名な作家になるのが私の夢だ

私が目指すのは“人生に苦しむ者を救う作品”

そして、稼げる作品

 

これまでに書いた小説、雑誌記事、童話

すべてボツになった

ポストカードは売れた

でも 創造的な満足感は無い…

本音を言うと“読者の心を動かしたい”

 

5作目の小説もボツなら作家の夢を諦めるつもりだ』

 

この冒頭でランスという人が

「どういう思いを抱えて生きているか」

に留意しいておくと

彼が息子になりすまして書いた「遺書」や「日記」が

「嘘(作り話)」ではないことも見えてきます。

 

「World's Greatest DAD」のマグカップと父子

ビッグショット・ダディ

この映画の原題タイトルにのもなっている

「世界最高のお父さん」マグカップ

本当に作中でランスが愛用しています。

 

ゴーティマー・ギボン見ていた時

これのママ版をみたんですよ。

たぶん父の日に息子からもらったマグカップなんだろうなぁと。

 

才能の無い作家志望の父が

死んだ息子になりすまして書いた遺書と日記で

一躍有名人に…って物語に見えて

 

実は「理想の父、理想の息子、理想の父子」になれないまま

息子を失ったランスが

息子の遺書と日記を書くことで

“理想の親子関係が実はあったんだ“と

過去を修正しているように見えました。

 

反抗的で悪態ばかりつき、父親をバカにする息子を

「内心では酷く悩み、傷つき、孤独で繊細な才能ある少年」とし

遺書の最期には父への謝罪と感謝と愛を述べさしている…

 

息子そのものも、息子の死も、父親としての自分も

美しいものに記憶も事実も書き替えているように見えた。

 

彼の嘘は自分と息子のためのものだった。

あのカウンセラーの言葉を聞くまでは。

 

ランスの創作・虚像のカイルに熱狂する人々

この映画が見事に描いている

「虚像や嘘に勝手に熱狂し、盛り上がっていく群衆」

 

カイルが生きている時は見下しいてバカにして

相手にもしていなかった人たちが

 

カイルの死の直後は

誰も彼の死に関心を示していなかった

あの周囲の人たちが

 

ランスが書いたカイルの遺書を読み

「孤独を恐れ、周囲に認めて欲しくて嘘の自分を演じていた少年」

に共感し、カイルの死を悼み、悲しみ、彼を崇めだした…。

 

生前のカイルにも

カイルの死にも

なんの興味も示さなかった生徒たちや

教師や周囲の人たちが!!

 

けっこう、ぞっとする展開でした。

親しくもなかったのに

カイルの遺品をランスにねだる女生徒達とか、

ランスの恋人っぽい女性教師とか、

校長とか…とにかくみんな。

 

テレビ局、出版大手も群がってきて

だんだんとランスも

この熱狂の中に

「カイルの死を本気で悲しんでいる人はいない」

と気が付きはじめる。

 

この熱狂に終止符を打つランスのスピーチ

このスピーチ、私はランスが本物のカイルを

偲んで、彼の死を悲しんでいる素直な気持ちが出ていたように思います。

「イヤな奴だったけど、やっぱり愛する息子だ」と。

 

でも、熱狂していた人たちは

このスピーチを聞いて掌返しで

怒りをランスにぶつける。

 

熱狂していた人たちは

自分が共感し、心を動かされた文章を書いた相手が

目の前にいるのに、実在しているのに

カイルの虚像をみせられたことに怒りランスを責める。

 

虚像のカイルの心を持ったランスを認めないのです。

あの孤独を恐れ、人々の中で善人を演じて

本当の自分を押し殺して生きる少年はランス本人なのに…

 

プールのシーンからラストシーン

皆から非難され怒号が飛び交う中プールに向かい、

服を脱ぎすて裸で飛び込んだランスの晴れ晴れとした顔。

 

何もかも脱ぎ捨て

何もかも失って

身体ひとつになって

自由に水中を泳ぐランス。

 

身も心も軽くなったんでしょう。

彼はプールのシーンでこう語っている。

 

「孤独な死を何よりも恐れていたけど、

孤独を恐れる(偽善者)に囲まれて死ぬ方が

最悪だと気が付いた」

 

グサッ

グサグサッ

胸に刺さるわぁ

 

最後にランスに寄り添う2人が

本当にランスとカイルを思う人達だった(;;)

 

嘘つき成功者と孤独を恐れる偽善者の群れ

ランスは苦しんでいたけど

  • 嘘つき成功者
  • 成功者のフリした嘘つき
  • 詐欺師の偽善者
  • 孤独を恐れる偽善者

世の中の90%以上はこういった人たちが

群れてできた社会なんじゃなかろうか?

 

Loserと呼ばれる人たちが

本当のCreatorなのかも

 

人々は自分が思いこんだ物語に酔うようだ。

嘘の物語で大勢の人を動かしているモノって

世の中けっこうあるよね。

 

勝手に信じ

勝手に崇め

勝手に失望し

勝手に怒る

それが群衆というモノなのかもしれない

 

個人でいる時よりも

大きな力で流されやすいしね。

 

本当に必要なのは

ランスが見つけた『何もない自分』でも受け入れてくれる2人の友人とか

半径3mの穏やかな日々なのかもしれない。

 

孤独が怖くて

誰かとのつながりを求め群れを探しても

「孤独を恐れる偽善者」にしか出会えないのかもね。

 

ロビン・ウィリアムズの憂いを秘めたほほ笑みが

グサグサ刺さる作品です。

泣いているように笑うんだもの(;;)

 

 

では、また~

 

 

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