よく みんな”朝の時間を有効活用せよ”という。
「朝の時間を大事にしろ」「早起きは三文の徳」と。
しかし、私はそれほど「ピン」ときていなかったし、心地良い睡眠と何の気負いもない素~無の目覚めの方が重要だと考えておりました。
私が尊敬する賢人・哲人「安岡正篤」氏ってこんな人
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安岡先生も朝の時間の重要性を説いておられる。
私は安岡先生の言葉によって、「あ、そういうことか」とやっと「早朝が特別な時間である」ということに納得できた。
安岡先生は「朝を活かすことから人生ははじまる」といっている。
1日24時間のうち、”活きた時間は朝だけだ”ともおっしゃっている。
なんで、そんなに「朝が特別な時間」なのか?
安岡先生が早起きを習慣にするために、心に置いていたという清末の哲人政治家・曾国藩の心がけ『黎明に即起し、醒めて後、霑恋する勿れ』という言葉に私はピン!ときたのだ。
この言葉は「明け方に目覚めたらすぐ起きる、目覚めたら布団の中でぐずぐずするな」って意味らしいのですが、私に大きな気づきを与えてくれたのは「黎明」という言葉です。
すべては「相似象」というカタカムナの示しにあるように、「一日の巡り」というのも宇宙の基本的な「循環」の相似象になっているはずだ。
ということは「夜明け~早朝」というのはまさに「一日の黎明期」なわけです。
「一日の黎明期」は「この宇宙の黎明期のウツシ」ともいえるわけですよね。
ビッグバン宇宙のはじまり論でいうならば、初めの大爆発=この宇宙のはじまりの時と「朝の黎明時」は同質であるわけです、超重要にして特別な時なのです。
あ、そういうことか!(私の中で何かが変わった)
その黎明期を「今後の意図」を以って過ごすのと、目覚めも意識もなく過ごすのでは、まるで違った「一日」や「宇宙の成長」に成るに違いない、と思えたのです。
カタカムナでいうところの「ナ(意図・意志・核)」を込めるということですな。
黎明を意図的・意識的に過ごすことで、「私の一日」「私の今日」ひいては私と宇宙が全一として繋がっているなら「宇宙の今日」「総ての今日」に生命核が打ち込まれるということではないでしょうか。
エメラルド板でトートもやたらと「朝の太陽」と呼び、早朝の太陽を特別視していましたが、どうやら「朝の太陽」とうのは一番清く力強い「造化(創造)エネルギー」に満ちているようです。故に「夜明け~早朝の黎明時」は空間すべてに根源の創造エネルギーが充ちているということらしい。
だから早朝の黎明時に、その気でもって己の充電をしとけってことでしょう。
夜は魂が根源と繋がる「無意識」の時間で、夜明け~早朝は「意識」が根源と繋がる時間なのかもしれません。もっと、はやく気付けばよかった(><)悔しいっす。
ということで、早朝に「意図的に今日一日の過ごし方」を想像したり、深呼吸したり、瞑想したり、体操してみたりしている私です。