プロ独女のライフハックブログ

BBA独女みつまるが「今」気になることを追いかけ綴る人生冒険日記

【独女の学び:活学】円珠経としての論語と絵に描いた餅のイデオロギー「泥棒にも三分の理」

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活学に触れて

安岡正篤氏の「論語に学ぶ」を読んでおりますが

その現代日本社会への厳しい指摘に毎回気絶しそうな私です。

本編に入る前でボコボコにされているのですが

大事なことを学んだので早速φ(..)メモメモ。

 

 

 

dokujyolife.hatenablog.jp

 

こちらで紹介したとおり

論語に学ぶ (PHP文庫)を読み進めております。

もう、現代日本が抱える問題を的確に刺してきます。

もちろんその問題の責任は我々国民一人一人にあることも。

 

政治のせい、前世代のせい、社会のせいにして

責任逃れをし観客側に逃げ込んだつもりの個人を

安岡氏の筆は問題の最前線・中心に連れ戻しにやってくるのです。

 

論語に学ぶ」は「論語」を教材に安岡教授の講義を受けている感覚です。

ものすごくショックで衝撃を受けた部分があって

そこをここにφ(..)メモメモする前にそこに必要なメモがあるという・・・(^^;)

 

まずは「論語とは何ぞや?」とう大前提になる部分から

安岡氏の鋭い筆刀は私に斬りかかってくるのです。

 

 

 

論語はいつの時代にも通じる「修己治人」人格形成の書

 

先に知ってほしいことは

安岡教授の「論語に学ぶ」は

論語をそのまま崇拝するように学ぶわけではないのです。

 

儒教の経典四書

個人を家庭・社会・国家・政治の営みと結びつけ

一貫した人格形成を解く儒教の経典

  1. 大学
  2. 論語
  3. 中庸
  4. 孟子

いずれの4書も「修己治人の書」といわれ

わが国で仏教と相まって独自の発展を遂げた。

 

この日本精神・日本文化の深くに根付いた「教え」を学ぶことに

学問の本筋があるというのです。

 

学びにより身を修めたひとりの発する光が

家族を照らし、周囲を照らし、国を照らす。

そのための人格の自己表現・自己発展の礎となる教えがあるってことね。

 

このことを「一燈照隅行」言葉で表現されている。

一燈照隅行を行う猶興の士が

毅然として自らの信じる道を行くこと。

 

これが混迷する時代を改革する最も確かな

原理である

 

論語に学ぶ (PHP文庫)より

 

更には今こそ

一燈照隅行から萬燈照国に飛躍する必要があり、

ひとり1人がまずは光を発する人になるために己の人格と向き合うべき時

というようなことも書かれている。

 

国民が賢いのに政治が愚政になることは無い。

必ず愚政を正そうと国民が動くからである。

政治は国民の平均の姿なんだ・・・って何かの本で読んだなぁ。

 

とにかく、安岡氏の活学における「論語」は

中国から借りてきた儒教の教えではなく

日本にで仏教や日本精神と結びつき日本の伝統の根のある大事な教えなのです。

 

 

論語と絵に描いた餅のイデオロギーの違い

 

私が「論語に学ぶ」を読み始めて初めに衝撃を受けた部分がここなのです。

何となく古典に学ぶというコトや

最近の学びというのは理屈っぽかったり

頭でっかちだったり

平面的で現実社会から切り離した空間でこそ成立する

ような気もしていた。

 

そこをまずこの本は先に指摘してくるのです。

 

学ぶというコトが単なる「理論漬け」になっては意味がない

というのです!

 

理論漬けや理論武装なんてことは誰にでもできるし、

都合のいい理論なんていくらでもこねくり回せるので

どこまでイッテも平行するばかりで落ち着くところがないと。

 

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近頃は「今までのイデオロギーではダメだ」というコトが

世界の識者の定論になっているんだそうですが

日本はまだまだそこまでいっていなく世界にだいぶ後れているんだと。

 

私も最近では 日本人の会話にそもそも論理というのもはほとんどなく

「常識や当たり前」という思い込みが論証になっているのではないか?

と思えてきている…

 

dokujyolife.hatenablog.jp

 

この世界の動きを知るためのおすすめ3冊として紹介されているのが

  1. 「新しい階段」ミロバン・ジラス
  2. 「西洋の自決ー自由主義の終焉」ジェームス・バーナム
  3. イデオロギーの終焉」ダニエル・ベル

 

でも日本にも昔から「泥棒にも三分の理」「かれも一理、これも一理」って

言葉があるので詭弁家や頭でっかちの論理武装は見抜いていたようです。

 

このような理論を知識的・論理的に整えた学問や思想は

円珠経とも言われる論語とは似ても似つかないモノ。

 

民族、国家、人類といったものを

実体として考える時には

いわゆる知識や概念、論理の操作ではそうにもならない。

そういうものは極めて浅薄でたわいないものである。

 

論語に学ぶ (PHP文庫)より

 

では、円珠経としての論語とはどういったモノか?

「普遍的・実践的で変化にとんだ円転自在のものであり

いつの時代にも通じる活きた真理」なのです。

 

 

論語を学ぶことでどうなるのか?

 

そこで人間は本当に人間に立ち返れば立ち返るほど

良心的になればなるほど

偏見・偏心を捨て去って

己を空しうして謙虚に学ばねばならないということが

つくづく悟られるのである。

論語に学ぶ (PHP文庫)より

 

無知の知」ですな。

自覚が生まれるのでしょう。

 

知識や論理を見知った程度で

わかったと勘違いして

自分が賢くなったと錯覚し弁を垂れるのは

もっとも浅薄で恥ずべきことだって…

 

今日も先生は厳しい。

 

無知の知」を自覚することで

生涯学ぶ姿勢を手に入れられるので

厳しいながらもさすが導く師ですな。

 

私が本当にショックを受けた部分まで

まだまだ道はながい。

でも大事なことなので

順を追ってここにメモしています。

 

では、また~☆

 

 

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