真理を得るための学び、その入り口はどこにあるのか?
今の日本の政治も司法も経団連の偉そうな人達も「何かおかしい」と気づき、「どうにかしなくては…」と苦悩している「心ある日本人」は多いはず。
そんな我が同志「心ある日本人」の中で、「私、個人で何ができる?どうしていいかわからない…」と動けずにいる方に是非読んで欲しい1冊がある。
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日本の先哲・先賢が「我々」に向けて語り、「どう在るべきか」を説いてくれております。
では、前回の続きへ
「盡心(じんしん)」=心を盡す
この言葉の真意を我々におしえてくれた孟子、と孟子の解説を更にわかりやすく示してくれた安岡先生
「盡心」⇒「知性」⇒「知天」⇒「存心」⇒「養心」⇒「事天」⇒「立命」に至るためには、どこからはじめ・どのように進めばいいのか?
つまり、「盡心」から⇒⇒「立命」に至る『道』に入り進むにはどうしたらいいのか?
ここがわからねば、どうにもなりません。
この「道」への入口について「ありとあらゆる学問のどこから入ってもいい」という安岡先生の言葉をもって前回は終えましたが、その「学問の妙味」について、もう少し深掘りしていこうと思います。
安岡先生は、「どこから入っても学問というものを追究してゆけば結局『天を知る』に至る」とおっしゃり、それが「学問の妙味」だと示されました。
物理学、心理学、倫理学、政治学、医学、どこから入っても「天(真理)に至る」と。
- どんな科学の一分野からでも
- どんな一物からでも
「それを究め盡せば必ず、真理に至る」というのです。
確かに、私自身好奇心のままに雑学的に色々な分野のことを追究した結果→最終的にはみな同じ扉の前まで行きつくことは理解できるのです。
ただ、多くはその「扉」の前で立ち尽くすか、扉を開けることができず来た道を帰ってゆくか…ではないでしょうか?
「盡す」まで行けてない私の経験からでも、
- 物理を追っていっても
- 脳のしくみ(脳科学)を追っていっても
- 人体のしくみ(東洋医学)を追っていっても
- 古代文明・古代人の智を追っていっても
- 天文⇒宇宙のしくみを追っていっても
- 心理学を追っていっても
- 哲学に触れてみても
最後は「神(創造主)=この世界を動かしている根源法則・意志(意図)」の存在を示す扉の前で立ち尽くしてしまうのです。
この扉を開けて中に入ることができれば、この世界を生成化育(生み動かしている)根源にあるものに直接触れられるんだろうな…とはわかるものの、扉を開ける鍵もないし、中に入る方法がわからないのです。
ですが、最近の私は「古代日本の智」や「エメラルド板(トートの教え)」に触れだんだんとその扉を開きはじめている気がしております。
雑学的に気になったことを調べまくっている時の私は「盡す」までの追究に至っていなかったことと、そもそも大前提として「盡心(心の究明・解明)」から始まっていることの意識もなかった…その当時は。
でも今は「心(先天と繋がる我が心)を盡す(分析・解析し解明し尽す)」=「知天」とわかっているし、さらにその先に「存心」⇒「養性」⇒「事天」⇒「立命」の道が広がっていることもわかっているので 「なんでこの扉の前にきちゃったのかな?」と戸惑い立ち尽くす過去の私とは違う。
「盡す」ことで「突き進める」と、私も確信しております。
そうして「気になる謎」のどこから入っても「根源」に至るのですな。
では次に「盡す」というは、「どこまで」のことをいうのか?を明らかにしていこうと思います。
(つづく)