「命(めい)」の重要性を知り、「命名」の本質に気づくと
「命名」という行為・儀式が別天神が八百万の神々に「命(みこと)名」を与えるが如く尊く、重要なことだとわかる。
今の日本の政治・経済や他国との関係に違和感を感じている「日本を愛する、心ある日本人」の皆さん、神と人とが共に在った奇跡の国「日本の底力」を信じて 日本を正道に戻すよう頑張りましょう!
とはいうものの、日本の腐敗堕落の温床は「政財界の権力層+そこに群がる組織的活動家や工作員」にあるわけですから…一般国民が個々にどう頑張ればいいのか…
そんな苦悩の中で動けずにいる同志の方に是非とも読んで欲しいのが「こちら」の一冊
⇓
「命名する」=名を与える、号く(なづく)
ということは、「その子(その人物)に人生の命(めい)を与えること」と同意。
命名された「名」が、その子の人生の地図となり道となるわけですよね。
だから「命名」とは、生まれてきた子の人生を決めるくらいの影響力を持つ為し事なのですから、その責任は重大です。
故に「この子により良い名前を」と望む親心や「自分の名の持つ運」を知りたがる人々の真理に乗じて、「姓名学屋」や「名付け商売人」など命名や姓名を「商売の種」にしている輩の存在があるわけですが…安岡先生はこのことを嘆き悲しんでいたようです。
安岡先生は「姓名学が存在し得る根拠がある」と認めつつも、神聖な「命名」儀式や 神聖な「姓名」を商売の種にしていることが許せなかったようですな。なんか気持ちわかるわぁ。
子に名を与える時も 自分の名が示す意味・意図を知る時も、
それは「名に向き合う者」自信が心の奥底にある天命(天意)に通じる部分で向き合い見い出すものなのではないでしょうか?
他人任せにしてはいけない聖域なんだと思われます。
生れた子に名を与える「命名」の責任はとても大きいですが、
- どんな人に成ってほしいか
- どんな人生を歩んでいってほしいか
親として子の幸せを想い、真剣に考え付けた「名」なら大丈夫、と私は思うよ。
日本語は「ヒビキ」が先にあり、神秘のヒビキで出来た言語だから
音のヒビキを大事につけてあげるといいかもね。
言霊のヒビキは日本の神名を参考にしてみるといいかも。
でも、優しい子に育ってほしいから「優子(ゆう子)」とか、豊かで美しい人生を願って「美咲(みさき)」とか、普通にみんなが名づけられた名はどれも「美しい日本語」だと思うよ~
自分の名の由来を是非とも両親や名付け親に聞いてみよう!
(つづく)