一気に進むべきですが
無知なBBA故に、細かく分けて意味を読み解いていきます。
本日は「無眼耳鼻舌身意」の部分。
眼耳鼻舌身意とは「感覚器官」のこと
「無・眼耳鼻舌身意」
この部分、非常に馴染み深い漢字が並んでいますよね(^^)
⇓
「眼耳鼻舌身意も無い」って書いてあります。
眼耳鼻舌身意はそのまま人間の感覚器官をさしていますよね!
- 眼=視覚
- 耳=聴覚
- 鼻=臭覚
- 舌=味覚
- 身=触覚
- 意=知覚
目・耳・鼻・口・意識(+第六感)と言ったほうがわかりやすいかな?
でも、実は「無・眼耳鼻舌身意」が示すのは
更にもう一歩踏み込だものなのです。
無・眼耳鼻舌身意が指す「六根」
「無眼耳鼻舌身意」が指す「眼耳鼻舌身意」は
感覚器官を通して「私が感じている世界」を指すようなのです!
- 目で見て認識する世界(眼識界)
- 耳で聴いて認識する世界(耳識界)
- 鼻で嗅いで認識する世界(鼻識界)
- 舌で味わい認識する世界(舌識界)
- 身で触れて認識する世界(身識界)
- 意識が認識する世界(意識界)
六根は「眼耳鼻舌身意」という感覚器官を通して
私の外側の対象が私の中に投影され生まれる「世界」をさしている。
続く「無色声香味触法」と呼応して
「六根・六境・六識」をさしており
それらが実は全て「実体はない」といっているようです。
まとめ:「無眼耳鼻舌身意」とは
私が眼・耳・鼻・舌・身・意という感覚を通して
認識している世界は
実は自分の外にある「対象」を感覚を通して
私の中に取り込み、投影した
「私の中にできた世界」であって
そこには「真の実体」は無い。
絶対的不変の真実、実体は無いってことらしい。
私は「私の感覚を通して、世界をみること しかができない」
ってことかぁ…確かに。
「ありのままの真実の姿」と私が思う時
それは既に無で空ってこと??
「ありのままに見る」ってできるの?
でも観自在菩薩はその域に達したというのだから
このまま般若心経の解読を続けよう。
「見えた!」と思うと
又すぐに大きな闇にのまれてしまう難解だぜ…
つづく。