半出家BBA修行日記
「幽霊が見えたらどうしたらいいか?」 仙人(?)曰く『無視すればいい』と。 「幽霊がいる」という観念を無視することで手放せばいい この「無視・無関心」こそが真の赦しだというのです。
なるほどぉー 何かを探求する時「完全」を目指すと、幻想の中で迷子になるのかぁ 『「完全」という観念が、そもそも完全そのものではないから』だって
「幽霊が見えたらどうすればいいか?」 “幽霊が存在する”という観念を強化せず、 ただただ無視してそれに関心を寄せないことが大事なという。 これは、恐怖や不安の対処法にも通じるお話だった!
武士道を心の柱に生きるBBAこと私です。 武士道により「仁義に背かぬ生き方をする」という信念を手に入れたので 非常にクリアな判断基準ができ判断に迷うことが少なくなってきたよ。 そこで次はより他に振り回されない心を得るため禅の修行へ
ほとんどの人間は「自分に起こる奇跡」を信じていたり 「自分は特別な存在だと」思っている…って何かの本で読んだ記憶があるBBAです。
「話が通じない人」「わかろうとしない人」「わからない人」 その人達に何が起きているのか? また、その人と自分の間に何が起きているのか? わかりやすく教えてもらい、スッキリしたBBAです。
武士道の精神を胸に、「柔軟で常に平静な心」を持つために 「禅」の世界に足を踏み入れてみたBBA私です。
仙人(?)曰く、人生は「白いキャンバス」で みんながそれぞれに自分の観念や信念を塗り重ねていくんだって。 私が欲しいのこれだよ! いつでも真っ白いキャンバスに戻す力よ
二元性でみる目も持ちつつ、 その先の「ありのまま見る」目を持つための修行がはじまった。自分のことも含めてすべてを客観的に見る「観察者の眼」を持てるように
新渡戸稲造氏の「武士道」を読み 誰にも振り回されず、ぶれないで生きるために 自分の中に「仁義(良心に従って生きる)」という柱を持てたので 次はより柔軟に生きるために「禅」の世界へ
教える人もまた学ぶ者で、その目線は同じなのですな こっちが特に質問したわけでも、お願いしてもいないのに 「私が教えよう」って人には注意いしょっと。
お題「我が家の本棚」 1度目は全容を掴むためにサッと読み、 2度目にじっくり読んでみたのですが まだ完全に「わかった!」の領域まで行けていないBBAです。
お題「ゆっくり見たい映画」 もっと早くこの映画観ておけばよかった(;;) 映画館で観たかった…名作じゃないか!! 「武士道」で読んだそのまま真っ直ぐな武士魂で 戦争時も生き抜いた方が実在してたぁぁ(感涙)
「武士道」の教本からの学びは最終となります。 あとは日々日本の精神をもって武士道の「義に従い行動」あるのみ! どんな状況下でも「心が折れない」破壊されない秘訣が説かれていたので さっそく忘れないように心にメモった。
合理=理に適う のはずがいつしか意味が狭く偏ったものになってしまったのかも。 今でいう「合理的」って損得勘定に近くなっているし、 どんどんそれが濃くなって「非情」の方に向かっている気もする。
イライラ社会を生き抜くための「四諦八正道×武士道」修行に励んでいるBBAです。 柔軟で壊れない心と揺るぎない精神の主柱を得るため日々修行に励んでおります。 人生の判断基準が「仁義」と決まったのでだいぶ心が軽く平静です。
もう日本人の大和魂とか消滅しちゃったかと思ってましたが そんな簡単に消え去ってしまうものではないらしい・・ 桜を愛する感覚があるなら、そこには大和魂がしっかり受け継がれているようだ。
武士道が武士から庶民にも広がり日本の精神=大和魂となったのは 「道徳の感化力」にあるんだとか ズルさや悪さも伝染しやすいが、美徳もまた強い伝染力を持ってると。
武士道というよりも武士の時代なんて男尊女卑がもっともひどかった時代じゃ・・・ と思っていましたが「武士道」を深く学んでいくとどうやらそうではないようです。
武士の時代と言えば、男性が主役で女性は男性に従うもの・・・ というイメージでしたが、 武士道が女性に求めた本質は男性に求めたものと同じでした。 ちょっと、スッキリした。
命を懸けて義を全うする「切腹」や「敵討」の時に覚悟をもって刀を抜くわけですが 武士道はもともと心身の平静と世の平和を重んじるので 刀をみだりに振りかざすことを認めていない。
イライラ化が進む社会を生き抜くために 柔らかく折れない心と「人の道」を踏み外さない為の強い精神を得るべく 『武士道』修行中のBBA私です。
以前から「他に影響されない、他に乱されない」生き方を模索していましたが 新渡戸稲造氏の『武士道』にちゃんと書いてあった! 早く言ってよ~~~~~
私は個人的に勝手に日常を修行にしているので 師といえば今のところ「武士道」著者:新渡戸稲造氏だけですが 武士道の中の「教育」「教師」に触れた部分を読んで 「なるほど」と思ったことが。
武士道の教えを要約すると「良心に恥じない生き方をしろ」これだけ。 良心=仁義であり、要約するとこれだけなんだけど 興味をもって深く掘ってみると・・禅の世界に通じる壮大さです。
「大義」に生きるといったほうがイメージがしやすいかも。 西洋の個人主義とは全く違う思想が「忠義」にはあるようだ。 忠義とはただ上に従うことではないのです。
「誠」はなかなか奥が深い・・そして重い 誠でいることは「当たり前」のようで、 嘘がごまかしが全くないまっ白な生き方ってのも難しい。 というとで「誠」をさらに深掘りしていくことに。
本来、「誠は産業を発展させる」はずだった・・・ だった・・・だった・・・・だった・・・ 今はどうなんだろう?
礼が「他を思いやる心が外へ表れたモノ」であるように 礼が行動で仁義を表すとき、そこには相手への思いやりや心を重ねる姿勢がある。 嘘のない心からの行ないでない限り、形式だけの礼は茶番芝居だという・・
武士道の説く「礼」を見てきましたが 『礼の最高形態は愛である』と書かれている意味がわかってきた。 すごく壮大な愛を表現しているようで、 実際は難しいことではないということが見えてきた。